私の大学時代

第1章 劣等感との闘い

実は大学入学の頃、ガチガチの

学歴コンプレックス、劣等感に

悩んでいた。

浪人をして、これほど

勉強したことはないというほど

1年間やったが、

第1志望
(東京大学文科Ⅰ類)、

第2志望
(慶應義塾大学法学部政治学科)、

第3志望
(早稲田大学政治経済学部政治学科)に

ことごとく落ちた。

東大に至っては、

センター試験「国語Ⅰ・Ⅱ」で

まさかのマークミスをし、

願書すら出願できなかった。

模試や予備校の成績では、

東大は後期のみ目指していたため

判定が出ないが、

慶應の法学部も早稲田の政経も

A判定をもらっており、

1999年12月に代ゼミで行われた

慶應模試では、

総合偏差値が70を超え、

小論文に至っては

偏差値82.2を記録し、

小論文で全国16位にもなった。

通っていた予備校でも

クラス成績上位者に入り、

表彰もされた。

最終的に合格したのは、

中央大学法学部政治学科と

学習院大学法学部政治学科。

偏差値からすれば

中央大学法学部に進学だが、

司法試験を目指している訳ではなく、

当時は外交官を目指していた。

また、中央大学は自宅から

2時間以上かけて

通う必要があるのに対して、

学習院大学は1時間ほどで通えて、

しかも目白駅から徒歩30秒という

近さに惹かれて学習院大学を選んだ。

しかし、高校や予備校の同級生の

進学先が、

東大、一橋、慶應、早稲田ばかりだと

知って劣等感を抱いてしまった。

そこで、苦肉の策として

入学式に考えたのが、

学習院大学法学部政治学科を

一番で卒業する、ということだった。

そうすれば、東大や早慶にも

ひけをとらないのではないか、

と考えたのだ。

よって、大学生の頃は勉強に燃えた。

修羅のように勉強した。

大学1年生から、大学の夜間の

「外交官コース」に通った。

また、週1で浪人のときに

お世話になった恩師の塾に通い、

「フランス語文法」を学んだ。

基本的に大学の講義にはほぼ出席し、

試験前には居酒屋の

アルバイトを休んで、

朝から晩まで勉強に打ち込んだ。

試験日には腱鞘炎になり、

手に湿布を貼りながら

試験に臨んだのをよく覚えている。

その成果ははたして…。

つづく…

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