ぴよぴよ掃除隊


 随分と眩しくなった。そう思った刹那、ガン、という音とともに激しく一発背中に打ち付けられる凶悪ななにか。バランスを失ったおれの体は歪んだ意識のまま落ちた赴任先――フローリングと熱いキス。


「いぎたないですよ、先生」


 まさしく零度の声でおれを蹴り落とした張本人は、悪びれる様子もなく踵を返しておれの部屋から消えていった。わざとらしく、散らかった本たちをよけるようにして。


「DVだあああ……」

「ハウスキーパーがDVなんかするもんですか! さっさと飯を片付けてください!」


 部屋の向こうからぴしゃりとDVなハウスキーパーが言ってのけた。

 フローリングから唇を離してひとりごちた声はばっちり拾われていたらしい。もうなにも言うまいとため息をついて、ごそごそと起き上がった。寝相でしわくちゃになったシーツの上に無造作に置かれたデジタル時計は11時を回ったところである。



 眠 り の き み に キ ス を 落 と す 。



 ワカメと豆腐の入ったみそ汁、白いご飯、そしてこんがりと焼けた鮭。その全てはおそらく数時間前に置かれたまま放置されている。相変わらずリビングでせかせかと動くハウスキーパーを横目に、どうしたものかとうなだれる。


「和音さん、和音さん、おなかがすきました」


 年季の入った茶色の棚をほこり取りでぱっぱはたいていた和音さんが、おどろおどろしい形相で振り返る。もはや口も開かない。目が言っている。自分であっため直せと。

 仕方ないからみそ汁とご飯を持ってキッチンという横文字を使うのもおこがましいような古いつくりの台所へ入る。シンクの中には洗い物ひとつ残っていない、今日も和音さんは絶好調である。


「和音さん、レンジ、どこ押しますっけ」

「普通に『あたため』ですよ」


 愚図、という言葉が後ろにつきそうである。いつも通り言葉が鋭くて痛い。今日も和音さんは絶好調である。

 やっとあたたまったご飯を食べていると、買い物袋を引っ提げた和音さんがおれの真横を通る。

 和音さんは必ずおれの手元を見る。

 かわいいなあ。ちゃんとおれが食べているのか、気になっているんだよなあ。言葉は刺さるけれど、憎めない。


「買いものいってきます。皿が消耗品になったら困るんで、シンクに運ぶだけにしてください。それ以上したら殺します」


 言葉は、ささるけれど。絶対零度のすごみも、ささる。

 通りすぎる和音さんに続いて席を立つ。そのままひな鳥よろしくついていって、玄関先でトントンと靴をはく和音さんを見る。

 和音さんは、すごく小さい。おれの胸くらいまでしか背丈がない。体のパーツのすべてがなんというか、小さい。これがおれをベッドから蹴り落とすのだからびっくりだ。今時の大学生としてはちょっと地味なんじゃないかっていうくらいこざっぱりとまとめてある服装、千円カットの美容院で整えた肩まで伸びる黒い髪の毛、そんな地味な格好を、二重の黒目がちな目や、すっと下向きに生える睫毛といった顔の造作がカバーしている。


「……なんですか」

「キーパーさん、送ろうと思って」


 えへ、と後ろにつくような軽い口調で言ったのが悪かったのか、和音さんがハア?という険呑な表情になる。どうしてそうなるの。


「先生。……んなことしてる場合だったら今月閉め切りの卒論でも書いたらどうです」

「え、なんで!? なんで知ってるの!」


 それ和音さんに知られたら絶対やれやれ世話焼いてくるから黙っていたのに!

 ぎょっとするおれにふんと鼻を鳴らした和音さんが「先生の部屋のカレンダーにでかでかと書いてありますよ」と言い残して、玄関をくぐっていった。いってきますもなしに。

 がたん、という音とともに静けさに包まれた廊下をUターンしながら、はあ、とため息。

 そうだ……卒論の締め切りがちょっとやばい。ご飯を食べてとりかかろうと、すごすごと歩いた。

 うちのハウスキーパーさんはすこし変わっている。

 よくイメージされるような四十超えのおばさんではないし、出勤時間退勤時間さらには給与のやりとりまで存在しないし、ハウスキーパーはしょっちゅう家に入り浸っている。

 減らず口を叩く10代ガキンチョ。ひとことで言えばそれまでだけど、強く言った後には必ずこちらの機嫌を伺うような眼差しになることや、仕事に差しさわりがないようにつかず離れずの距離でいてくれることとか、些細な言動はころころとおれの心をくすぐる。

 あーあ、ほんとう全く、かわいくて仕方がない。


「……せい、先生」

「んんー。ぱすた」

「はいはいパスタですよー今日の夕食は」

「ほんと?」

「ほんとう。だから起きてください」


 ハウスキーパー和音さんのパスタは、不味くない。だけどその代わりに、全然美味しくもない。あのパスタを口にして「美味しいねえ」と言える人間はただの八方美人か味オンチか和音さん贔屓である。あれ、そしたらおれも美味しいねと言うべきなんだろうか。

 素材の味を最大限に生かしてしまった和音さんのパスタが、おれはだいすきった。和音さんはコメントに困るパスタだからとあまり作りたがらないが、おれは隙あらばせがんでこうしていくらか機嫌のいいときに出してもらうようにしている。


「パスタで引っかかると思ったでしょ、和音さん」

「なんですか、なに絡んでるんですか」


 卒論にかかりっきりになったあとふと力を抜いて後ろに倒れたまま眠ってしまっていたおれは、その体制のまま起きあがることなく目を瞑る。


「引っかからないよーだ、べー」

「いいオッサンが。みっともないですよ」

「和音さん」

「はい」

「眠りのお姫様を起こしてくださいね」

「……」


 目を瞑っているけれど、まるで至近距離で見ているみたいに和音さんの表情が脳裏に浮かんでいる。きっと心底呆れた、いやあな顔をして、それでももちもちとしたほっぺたはちょっとだけ赤いのだろう。


「汐見先生……」

「すうすう」

「このゲス大人」


 大学生で未来もあるぴちぴちのきみを三十路まっしぐらのオッサンが捕まえてしまったのは事実なので、ゲス呼ばわりも甘んじます。

 やがて聞えよがしに大きく聞こえたため息。パスタ、伸びるので、なんていう言い訳じみたかわいらしい声。真っ暗な視界にもっと濃い黒がかかる。すぐ近くに感じる気配に、だめと分かっていても口角が上がってしまう。

 だがしかし、感じたのは、唇への熱烈なそれではなく、頬に感じるライトな感触。


「あ!」

「あ、起きた」


 しまった! 目、開けちゃった!

 息が詰まるほど近くにあった影は、だがしかし既に手を伸ばさないと届かないくらいまで遠のいてしまっている。


「そんなああ」

「ほら、パスタ冷めますよ」

「白雪姫は王子さまから口づけされたから起きたんだよ!?」

「わたしだってしましたよ。馬鹿なこと言ってないで早く食べてください。食器片付かない」


 がっくりとうなだれる。

 だけど目の前で背を向けている和音さんの、髪を縛っているせいで露わになっている耳と、ティーシャツからわずかに出た首裏が、赤く染まり上がっていることに気づく。

 今時中学生でもしそうなスキンシップにここまで過剰に反応されると、さすがに唇じゃないのと残念がっているおじさんが汚いもののように思えてくる。



.

「それに」

「ん?」

「……キスなら、もういっぱいしてるし。目覚めてるじゃん」


 あ、今なにかおれの中のメーターが振り切れた。


「先生、なにし――……うわあッ」


 あーもうかわいい。死ぬほどかわいい。

 さっき目覚めたときからなんとかこう折角用意してくれたパスタをちょっと後回しにしてイチャイチャになだれこめないかと考えあぐねてはいたんだけど、こんなにかわいいとその後回しの方法とかもどうでもよくなっちゃう。


「ちょ! パスタ伸びる!」

「ごめんなさい。伸びても全部食べます」

「え!? なに謝罪!? 求めてないから離してくださいって!」

「いただきます」

「え、わ……ちょ!」


 かわいいハウスキーパーさんにのぼせ上がって、いい年こいて馬鹿みたいにイチャイチャして。そんな日々は、まだまだ終わらない。

 しばらくしてようやく大人しくなった和音さんに、もう総計で何百回したのか分からないキスを落とした。



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 2009.12.20.~2014.09.05.閉鎖
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開始日 2009/12/19
更新日 2014/09/05

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