維新静岡史

ここで、秋月、林が深く関わった麹町教授所について説明すると、江戸幕府直轄の教授所として江戸麹町の善国寺谷(東京都千代田区麹町3、4丁目)辺に設置。寛政3年(1791)、浪人儒者服部善蔵に幕府より土地屋敷などを援助して設立し学問教授所と称しまた麹渓精舎とも称した。文化13年(1816)後継者が無く中断したが天保13年(1842)林大学頭らの建言により再建され、昌平坂学問所の直轄学問所となった。歴代学頭は、松平謹次郎、御牧又一郎、大島丈二郎、大久保祐助で、明治元年(1868)東京府に収められ、同年12月学制改革で改められた。聴講者は、武士のほか農工商も許された。進歩の状況により昌平坂学問所に通い稽古も可能であり幕末まで1500人以上が入門した【国史大辞典参考】以上のように武士以外にも広く一般に向けた学問所で昌平坂学問所の予備校といえる、林のその後の幅広い人脈はここで養われた。

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