維新静岡史

柏原学而②(静岡編)

さて、慶喜と共に静岡に来た学而、その後続々と旧幕臣の大量移動で幕臣だらけの静岡となったわけだが、まもなく出来た静岡学問所や沼津兵学校(別項参照)は旧幕臣のトップクラスが作り上げ、時には幕臣として海外留学していた新知識を持った人物まで関わったゆえ、当時の静岡はまさに時代の最先端を走っていたのだが、そのことは医学や病院の面でも同じであった。明治2年2月21日、には駿府(8月には静岡と改名)病院が開設、さらに沼津においては兵学校における軍医養成として兵学校付属の徳川陸軍医学所が出来、やがて明治2年の8月の藩政改革にともない沼津病院と改称された。静岡病院と沼津病院、共に病院と名が付いているが医師を養成することも目指しておりようするに現在の大学病院であった。学而は静岡病院の二等御医師として勤めることとなる。つぎに当時静岡へ集まった名医達をいくつか紹介する。

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