妖精は月と舞う-crescent-《完》



 ようやく辿り着く。

 頼りない月明かりが雲間から差し、時計塔を銀色に照らしている。

 それはまるで天使の梯子のようで、その美しさに畏怖さえ感じた。


 そのとき遠くの方で獣の咆哮が聞こえた気がして思わず立ち止まる。


「一一っ」


 本当にこれで良かったのだろうか。

 もっと彼に何か……。

 そう思ったが、そうではないのだと下唇を噛んで首を振る。


 手についた血を拭い、銀の神秘を纏う時計塔に手を伸ばす一一が、触れる直前に止めた。

 振り返り、咆哮が聞こえた方に向けて胸元で重ねた両の手にありったけの祈りを込める。


 振り返ったのは一度だけ。


 それから向き直り、静かに時計塔に触れた。

 壁に触れた感覚は一瞬だけで、後はそのままゆっくりと壁に体が吸い込まれていった。





 一一あ、甘い匂い。


 次の瞬間、あまりの眩しさに目を細めると花びらがシーナの目の前を通りすぎていった。

 ここは。


 確信したと同時に視界がぼやける。

 急激に平衡感覚が無くなって地面に倒れる寸前、誰かの手が身体を支えた。


「リリー!!」


 それがアストルだと分かると体の力が完全に抜けた。

 彼が無事で良かった。

 目を見て笑いたいのに、彼が今とても怖い顔をしているような気がして顔を向けられなかった。


「花、を」

「……分かった」


 シーナの言葉を察し、アストルは奥歯を噛み締めながら血の気のない彼女を地面に下ろした。

 そうしなければ彼女がこんなにも傷ついた意味がなくなってしまう。

 シーナはそのまま地面に力なく座り込み、近くにあった花に手を伸ばして一輪だけ摘み取った。

 それはイルシオン。世界で一番美しいもの。妖精には触れられない幻の花。


 これで帰れる。


 ホッと安堵したシーナはそのまま眠るように意識を手放した。


「おい!」


 アストルは思う。

 彼女には両手一杯に美しい花を抱えて、ただ笑って呑気に花冠を作っていて欲しかった。

 これはこんなに血まみれで命を削ってまでしなければならないことだったのか。終わったことだと切り替えることはまだ出来ない。

 例えようのない感情が胸に燻るが、早く手当てをしなければ彼女の命が危ない。

 だがその体を抱き上げた瞬間、アストルは顔を強張らせて固まった。



 彼女の手に握られた花は、枯れていた。










……To be continued.



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