妖精は月と舞う-crescent-《完》

隣人たちの国



 シーナが視力を取り戻してから数週間の時が過ぎた。

 けれど、ようやく取り戻した日常を掻き乱す足音はすぐそこまで迫ってきていた。



「今度は何を作ってるんだ」


 シーナが台所で鍋を火にかけていると、後ろからアストルが手元を覗きこんできた。

 まさか匂いにつられてきたというわけではないだろうが、タイミングが良くてシーナは思わず笑ってしまう。


「野菜のポタージュよ。フェリデンにいたときにアリソンに作り方のコツを聞いたの。アストルも食べる?」

「……」

「あなた甘いの苦手でしょう?甘くならないように作ったから大丈夫よ」

「なら味見くらいはしてやる」

「良かった」


 シーナが再び視線を手元に戻すと、アストルの手が髪をかき分けてうなじに触れた。

 シーナは驚いて慌てて振り向こうとするが、アストルに阻まれて出来ない。


「っ、待って今はダメ!噛むのはナシよ」


 そうは言ったものの、アストルのそれはケルシーが首元でじゃれるのと少し似ていてなんだかくすぐったかった。

 血を求める触れ方とは少し違う。


「つまり噛まなければいいのか」

「それは屁理屈だわ!」


 唇がうなじに触れ、皮膚を吸い上げられる感覚にシーナは思わず息を呑んだ。これは一度王都でされている。

 ケルシーのじゃれあいに似ているなどと少しでも思ったことをすぐに後悔した。


 だがその時なぜかアストルの動きがぴたりと止まった。その隙に振り向くと、彼の視線は窓の外に向いていた。


「アストル?どうかしたの?」

「外が騒がしい」

「そう?特には聞こえないけど」


 シーナが窓を開けて外の様子を眺めたその時、ちょうどケルシーが家に飛び込んできた。


『大変大変大変たいへーーーーん!!!』

「何?どうしたのケルシー?」

『なんかすごい物騒なの来たんだけどー!!!』

「?」


 その〝物騒なの〟の正体が分かったのは、それから数分後のことだった。




0
  • しおりをはさむ
  • 4202
  • 920
/ 339ページ
このページを編集する