神楽さんと御堂研くん

第2章 /御堂研くん

夕暮れの空が夜に変わる。
家に近づくにつれて足取りが重くなる。

高級住宅街と言われているらしい。
その一つが俺の家だ。

女兄弟しかいなかった母は、長女で婿を取る予定だったらしい。
それが嫌だった母は父と逃げるように結婚した。
母のために、と父は家を建てたらしい。
当時、父は仕事ばかりで、ほとんど家に帰らなかったと言う。
母はそれに耐えられず勝手に離婚届を出して父が貯めた貯金と、俺と妹を連れ出した。
俺の名字が豊橋から御堂になった。
俺が小学生の頃の話だ。

甲斐性のない母が一人で育てられるわけもなく、荒れていった家。
仕事も満足に出来ずにただただ減っていくお金。
イライラする日々。俺達に当たられるのも当然のようだった。
しばらくすると父が迎えにきた。
少し遅すぎる気がした。
それも小学生の頃の話だ。

母さんは変わらず、甲斐性のない性格をしている。
離婚届はそのまま受理されていて、両親は婚姻届を再度出すことはない。俺の名字は御堂のまま。
なぜ父が俺たちを迎えに来たのか、俺には理解出来なかった。



家のドアを開ける。
居間から声が聞こえる。
開けたくないと思いながらも開けざるをえない。
おそらく中には母と、妹の叶恵がいる。

居間の扉を開けた瞬間、こっち来んなよ、という叶恵の怒鳴り声と、なにかが飛んできた。
避けきれず、目を瞑って右を向いた俺。
左耳に鈍い音と痛みが走る。
「いっ、…」
足元に落ちたのはテレビのリモコン。
「いや、おい…」
投げたのお前かよ。
呆れる。
母親が叶恵の腕を掴んでいる。
「痛いって!!離せ!」
「ダメよ!別れなさい!!」
「ちょっと、何してんの!」
母さんの腕を掴む。
当たり前に俺の方が力は強い。
痛みに顔を歪め、叶恵から手を離した。
「叶恵は上あがっとけ」
叶恵はじっと母さんを睨む。
「叶恵!」
俺が少し怒鳴るとスクールバッグを掴みバタバタと階段を上がっていった。
バタンと扉の閉まる音がして、少し気が抜ける。
掴んでいた母の腕は勢いよく抜かれた。
「いったいなあ!」
細い腕が少し赤くなっている。
「…今度はなに?」



昔はただ、機嫌が悪い時に話しかけると打たれた。
食事なんて用意されず、外に出たら怒られて、何も出来ず、ただ縋るしかなかった。
頼りたくなくても頼るしかなかった。


今は違う。自分で出来るようになった。
放っておいてもらって問題ないぐらい大きくなった。


自分でできるようになると、母にすがる必要がなくなり、何も出来ず、何もしない母はお荷物となった。



「あの子、男と帰ってきたのよ!?」
ヒステリックに叫ぶ。
「そう…気に入らないの?放っといてやれよ」
散々放ったらかしなんだから…。
「何いってんの!?まだ中学生よ!?けんは!?あんたは何してたのよ!こんな時間まで!」
「勉強」
「家ですればいいじゃない!!」
「うん、そうだね」
もうめんどくさい。
耳元がズキズキ痛む。
久しぶりに怪我をした。
どうでもいいやと思うと、すぐに意識は母から部屋の汚さに移る。
ちょっと片付けよう。
夕方から夜まで働くと、家のことはなかなか出来ない。
洗濯は叶恵がしてくれている。
ご飯は適当に食べているだろう。
お金だけは父さんがどうとでもしてくれる。

散らかった母の服を集める。
叶恵は母親の服だけは洗いたくないと頑なだから俺が洗濯するしかない。
「はあ…」
思わずついたため息。
「あんた何その態度」
ギロリと睨まれる。
昔は怖かったんだけどな…。


ガチャリと玄関のドアが開く音。
父が帰ってきたようだった。
母と俺は黙って扉を見つめる。
扉を開けて居間に入ってきた父は分かっているからか、眉間にしわを寄せていた。
俺が知らないふりをして服を拾う。
珍しくバタバタと駆け寄ってきた。
肩を思い切り掴まれる。
「いっ、…」
「お前…これ…」
俺の怪我を見て、目を見開く。
「違う。叶恵が投げたやつが当たった」
さすがの母親でも高校生の子供を切りつけたりしてこない。
中学を卒業する頃、キレて思わず母の首を掴み上げた事があった。
それ以来、母は俺と距離を置くようになった。
父さんは母さんがやった事じゃないと分かり、少しホッとしたようだった。



洗濯機を回していると、救急箱を片手に持った父に呼ばれた。
「それ、貸して」
救急箱を指差す。
「自分で出来ないだろ」
「叶恵にやらせる。怪我、そんなに酷くないでしょ」
「ああ、」
はい、と渡される。
部屋へ上がるには、居間の階段を上らなければいけない。
「母さんは?」
絡まれたらめんどうだな。
「少し落ち着いた」
「へえー」
自分でも驚くぐらい冷たい声が出た。
「…悪いな」
「ああ、別に」
期待してないよ。


叶恵の部屋に行く。
「入るよ」
勝手に開けると、少し嫌そうな顔をされた。
俺は知らないふりして救急箱を渡す。
「やって」
「なんで私が…元はと言えばあいつが、」
「お前が投げたやつが当たった。お前のせいだろ。自分で後始末しろ」
無理矢理手当てさせる。
渋々といった感じで床に座った俺に近づく。
「ごめん」
小さく呟くように謝った。

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