雲が描いた月明かり 虹

名前を呼んで欲しいのは?

2人がどこぞに消えた後、サムノムは集福軒へ向かうべく身支度を整えた。
-花若様っていつもどこに帰っていくんだろ-
聞いたって教えてくれないだろう事は分かってるので詮索はしない。
自分だって聞かれたくないことだらけなのに他人を詮索するのはよろしくない。
そんな事を考えながら歩いていると目的の屋敷が見えてきた。
集福軒は大きな屋敷の多い王宮の中で、どちらかというとこじんまりとした屋敷だった。
通された部屋には、優しそうな夫人と10歳位の女の子が座っている。
サムノムは膝を折って頭を下げる。
「淑儀様…此度、新たに配属された内官のホンです」
「ホン内官、これからよろしく頼むわね」
「こちらこそ」
すると淑儀が辛そうに咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですか? 淑儀様」
淑儀は微笑んで頷き、隣に座る少女の背に手を添える。
「私の代わりに娘と一緒に庭の手入れをしてもらえるかしら」
サムノムが少女を見ると少女がニコッと笑う。
-この子がヨンウン王女様、喋れないんだっけ…-
その愛らしさにサムノムも思わず笑顔になり
「承知しました」
と頭を下げた。

服を着替えたヨンは、サムノムの配属先というのもあるが近頃臥せっていることが多くなった淑儀の見舞いに集福軒を訪れていた。
寝所で眠る淑儀の傍らに座る。
じっと見つめ、手を握り、遠い過去を思い出していた。

─7年前
ヨンの母が亡くなり、ヨンは一人東屋で母に習った琴を 弾いていた。
バチンと弦が切れ指に血が滲む。
「あ!」
指を押さえて痛みに顔をしかめた。
「世子様、こちらでしたか」
東屋に入ってきた淑儀は怪我をしたヨンを見て息を吞んだ。
「まぁ!」
「大丈夫だ…」
「痛くありませんか?」
「心配するな、こんな怪我ひとつで泣き言を言っていては母上が安心して成仏できない」
淑儀は優しく微笑んだ。
「その通りです、立派な心がけですね…」
ヨンは俯いた。
「ところで世子様…誰もいない時に伝えて欲しいと王妃様から頼まれた事があります」
「は、母上に?それは何だ?」
「“悲しい時に泣けるのも、男らしさです”と」
その言葉を聞いたヨンは、唇を噛みしめる。
「世子様に辛い事があった時には…胸をお貸しするようにと、この私に命じられたのです」
「それは…まことか?」
-泣いてもよいのですか?…母上-
みるみる涙が溢れる。
淑儀は優しく頷いた。
「…ならば…淑儀よ…胸を貸してくれ……私は今…とても…辛いのだ…」
「はい……世子様」
淑儀はそっとヨンを胸に抱き寄せ、その温かさにヨンは母を想い涙が涸れるまで泣いた。

握っていた手をそっと上掛けの中にしまい、文机の上の書きかけの文と文箱の蓋が閉まらないほどに増えた返書を見つめた。
-いつまで見ない振りをするつもりなのだ…!-
ヨンは静かに怒りを灯らせた。

集福軒の庭ではサムノムが雑草と格闘していた。
ヨンウンのイタズラにも気付かない。
「ああもう、しぶとい根っこですね!」
言いながら見上げると、ヨンウンは慌てて手を引っ込め頷く。
「でも、これは生き残るためなのですよ、雑草は僅かな日光と水だけで逞しく生きなくちゃならないんです」
ヨンウンはサムノムの髪に自ら挿した可愛らしい桃色の花を満足そうに見た。
-とても似合ってるわ、ホン内官♪-
「温室育ちの花とは大違い…」
言いかけてふとヨンを思い出しサムノムは笑ってしまってヨンウンを見る。
「話してるうちに、ある人の事を思い出してしまいました(笑)」
サムノムは口をへの字に曲げる。
「温室の花のように育ったせいか変人で小うるさいんです」
喋るサムノムを余所目にヨンウンは目の前をヒラヒラと通り過ぎた蝶を追ってどこかに行ってしまった。
サムノムはそれに気付かず喋り続ける。
「まったく…せめて顔の半分でも性格がよければ…」
顔も声も財力も申し分ないのに、あの性格で台無しだ。
-“クソ宮殿”と呼ばれる世子様とどっちがマシなんだろう-
その時ふわっと漂ってきた香りに
ーあれ? この匂い…ー
「よければ、なんだ?」
「もしそうだったら私も、もう少し…」
“好きになってあげるのに”と言いかけて、驚いて声のした方を見るとヨンが立っていた。
-また出た!!-
思わず尻餅をつく
ヨンはこちらを向いたサムノムの姿を見てドキッとした。
髪に花を挿したサムノムを“可愛い”と思ってしまった自分を否定する。
-だから、なんでだ?! 男ではないか!!-
「は、花若様がここに何の用ですか?」
土をはたきながら立ち上がる。
-ほんと、どこにでも現れるんだから!-
ヨンは気を取り直してサムノムを見た。
「お前こそ、ここで何を?」
「もちろん仕事ですよ、決まってるでしょ」
仕事? こんな庭で何の仕事だ?
「それにしても…一体、花若様は何者なんですか?」












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