溜め息 第一部【完】

第六章 /溜め息十五










静かに、されど深い憤りをたった一言に乗せた柳生海十と対峙している雪峰は、瞳を爛々と輝かせた。


これを待っていたんだと言わんばかりのその表情は、この場を、この状況を、心の底から満喫しているようにしか映らない。




「怒らないでよ海十。」

「………。」

「僕はただ遊んでいただけなんだから。愛しい憂李に何の危害も与えてはいないもん。」





自分はただ退屈を凌ぎたかっただけ。そんな子供みたいな言い訳を当然の如く吐いた雪峰が憂李の輪郭を指先で撫でた。



…触るな。


触るな。触るな。触るな。触るな。触るな。触るな。触るな。





僕の…僕だけの、美しい彼女に。その薄汚れた手で、触ってんなよ。


胸中に込み上げてくる真っ黒い感情は、やがて漆黒の闇へと変わり、血と共に全身へと巡っていく。





「きゃっ…。」




鈴の音のような繊細なその声を、彼女に陶酔しきている僕の耳は決して聞き漏らさなかった。


反射的に伸びた視線の先にあるのは、憂李の身体を抱き締める柳生の姿。





「おっと、怖いね。あっさり奪われちゃった。」




両手を挙げて降参のポーズをわざとらしく見せる雪峰は、悔しさを顔に滲ませるどころか、依然として奇妙な笑みを湛えている。




「海君…海君、怒らないで…。」

「怒ってねぇ。お前が怒って欲しくないなら、怒らねぇよ。」




緊張の糸が解けたのか、目に涙を浮かばせた彼女が柳生の胸に顔を埋める。


そんな彼女の艶やかな黒髪を、ひたすらに優しい手つきで柳生は幾度となく撫でてやっていた。




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