愛を、もう一度 【前編】

愛を、もう一度 /1991年





――1991年9月2日


今日もまた23時50分を過ぎると、いつものように赤城さんが私に声をかけてきた。
スタッフルームで着替えを済ませ、ホールに出るときっちり0時5分前だった。


「わかってると思うけど」

『タクシー…ですよね』

「そう。わかってるならよろしい。お疲れさん」


私にそう確認すると、満足そうに頷く赤城さん。
美紀さんに挨拶をして、お客さまに頭を下げながら私はREDを出た。

裏道を抜けて、繁華街に通じる大通りにつくと、迷わずタクシー乗り場に向かった。
以前のような面倒なことに巻き込まれて、大切なものを一瞬でも失くしてしまうのはもうごめんだったから。

左手薬指にはまる指輪を見つめて、右手でぎゅっと握りしめた。

そんな、指輪を見つめながらぼーっと立ち止まっていた私の右斜め前に、突然影が出来た。
店の電気が消えたのかと思って、暗くなった方を何気なく見上げると。


「……また歩いて帰るつもりか」

『………(…どうして)』


今日もまたREDにいたはずの永瀬サツキが私のすぐ右斜め前に立っていた。

どうしてここにいるのかとか、また会ってしまったとか、思うことは色々あったけど。次に会ったら、あの一ヶ月前のことを改めて感謝しなければならないと思っていた。
あの時は、心が乱れきっていて正常な状態ではなかったから。だから改めてもう一度、永瀬サツキに頭を下げた。


『…以前は、本当にありがとうございました』

「……それ、前も言っただろ」

『…はい。でも…それは指輪のことで…』


ありがとうと言ったのは、今思えば指輪を見つけてくれことに対してだけだった。しつこい男から助けてもらったことに関しては何のお礼の言葉も伝えていなかったのだ。


『…助けてくれて、ありがとうございました』

「……」


体を折って、深く頭を下げてから顔を上げるのまでの動作を、永瀬サツキはじっと見ていた。

母方の祖母が礼儀に厳しい人だった。謝るとき、お礼を伝えるとき、挨拶をするときのお辞儀の仕方や姿勢を5歳になる前から細かく教え込まれた。そこには愛情も何もなかったかもしれないけれど、今ならありがたかったと思える。

大輔にもそのおかげで見つけてもらえたし、中学のときも高校のときも、やたら教師に褒められた。

心がこもっていても、いなくても、そういう上辺だけのことをいかに出来るかが社会に出ると必要なのだということをREDで働きはじめて知った。

それが現実なのだと。社会なのだと、思い知らされてからは、しきりに体裁ばかりを気にしていた母方の祖母の気持ちが少しだけ理解できるようになった。

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