悪魔の母性

第四章 過去(2)



「…は?何それ、全然聞いてないんだけど!?」
「言えるはずがないな。今日で会うのが三日ぶりぐらいになるんだから」

 古い造りの軒並みばかりが連なる小さな住宅街の一角に建つ二階建ての質素な家。

 その家のダイニングテーブルに着いて朝食をとっていた中学生らしき少女が、不満や不愉快さを一切隠そうとしない表情で目の前の人物をにらみつけている。その人物は、そんな彼女の視線など意も介さない様子で湯呑みの中の茶を啜っていた。

「だって…明日は絶対空けてくれるって言ったじゃない!」
「急に明後日まで当直になった。仕方がないだろう」
「仕方ないって…!」

 あまりにも淡々と述べてくる相手の様子に、少女は食べかけの食パンをやや乱暴に皿へと戻した。

 少女は名を、相沢ゆかりといった。今年で中学三年、十五歳になる。

 先日から、彼女が通う中学校で、三年生を対象に保護者を交えた進路指導と面談が行われていた。明日がその最終日であり、彼女は父親と共にそれに臨むつもりだったのだが。

「そんなのないでしょ!担任の先生が気を遣って、わざわざ最終日にずらしてくれたのに…!」
「お父さんがすみませんでしたと言っていたと伝えてくれ」
「…それだけ?」
「他に何がある?」

 そう答えて、湯呑みから手を離したのは、ゆかりの父親である相沢和清であった。

 相沢家は、彼とゆかりの二人家族だ。彼の妻であり、ゆかりの母親であった人は、彼女が幼い頃に大病を患い、あっけなくこの世を去ってしまった。

 以来、相沢の仕事の都合上、特に新しい家族が増える予定もなく、二人で慎ましく生きてきたつもりだったが、どうもこの頃些細な言い合いから始まるいさかいが増えてきた。

 思春期に差しかかった女の子はいろいろと大変になるわよと生前言っていた妻の言葉がふと頭の中で蘇るが、それをさっさと頭の隅まで押しやって、相沢が「ああ」とうなずいた。

「他には、特に何も言う事はないだろう?進路なら、お前の好きな学校を選べばいい。俺は文句ないから」

 本当にそう思っていた。自分もそうしたのだから、娘も好きな道を歩けばいいと。

 だが、当の本人はプルプルと小刻みに全身を震わせて、こちらをにらむばかりで。やがて、食べかけだった食パンを無造作に掴むと、それを相沢の方に投げ付けてからこう言い放った。

「バカッ!ネグレスト刑事!!」
「うわっ…!こら、ゆかり!食べ物を粗末にするな!」

 パンの表面にたっぷりと塗られていたマーガリンが、相沢の着ていたYシャツにべっとり付いてしまって、相沢は大声を張り上げる。

 だが、その頃にはもうゆかりは玄関から飛び出していて、乱暴にそのドアを閉めてしまっていた。

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