嘘つきな君 【完】

第1章 /願い




シンガポールの出張から、2週間が過ぎた。

あれから常務は仕事が立て続けに入り。

言葉通り、息つく間もない程忙しい日々を送っていた。


それでも今の私には、ありがたかった。

嫌な事を考えなくて済むから。


あの後、私達は何事も無かったかの様に振る舞っている。

今まで通り、何も無かったかの様に。

私がそうさせているのかもしれないけど――。





「芹沢」

「はいっ」

「この資料を至急、コピーして製本してくれ」

「かしこまりました」

「次の会議に行ってくる」

「資料は用意してデスクの上に置いてあります」

「分かった」



バタバタと事務所の中を闊歩して、彼は入れ代わり立ち代わり訪れる客人と難しい資料を見つめ合う。

そして、直ぐに次の会議へと向かってしまう。

交わされるのは、業務的な言葉だけ。

それが、近くにいるはずなのに、彼を遠くに感じさせる。

きっと、それは作り出された『神谷常務』しか見ていないから。

私の知っている『神谷大輔』は、セルフレームの眼鏡の奥にいる。

――ずっと、会っていない。



「会議後、そのまま直帰する」

「分かりました」



慌ただしく常務室を後にした彼。

残ったのは、微かに香るジャスミンの香りだけ。



「はぁ……」



1人になった途端零れる、大きな溜息。

本当は、今日だけはどうしても一緒にいたかったけど、そんな我儘言える雰囲気じゃなかった。

彼が忙しい事を一番分かっているのは、秘書の私だから。



「いつ渡そうかなぁ」



ポツリと出る独り言。

頭の中に浮かぶのは、ずっとバックの中に入っている、綺麗に包装された小箱。



――そう。

今日は常務の誕生日なんだ。



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