さちこのどんぐり

笑顔 /出会った笑顔

夜10時頃
いつもより遅くにアルバイトが終わって、
前嶋奈津美が部屋に帰る途中のことだった。


クリスマスを間近に控えていた寒い夜。

いろいろあって落ち込んだり、悩んだりしながらも
少しずつ前を向いていこうと奈津美は思っていた。
最近いつも着てる彼女のピンクコートのポケットには「どんぐり」がひとつ。




家路を急ぐ奈津美の前方。
駅前通りから少し歩いて最初の交差点にさしかかった辺りで
道端に白い犬が座ってるのが見えた。

犬好きの奈津美は思わず

「わぁ!犬だぁ!」

でも、なんだか妙におとなしい犬で
ほとんど動かない。

その犬の辺りを通りかかった二人の女子高生が、
そこへ近づいたかと思ったら
突然、「キャー」と悲鳴をあげて犬から離れて行った。

「???」

…と思い、奈津美がその白い犬のそばに行ってみると

「…………!!!」

お腹の下の辺りから尻尾、後ろ足にかけてたくさんの血が出ている。

「ケガしてる!どうしよう…」

奈津美は実家でも犬を飼っているくらい大の犬好きだが、
そんな状況に、どうしていいかわからず、血を流している犬を見ているうちに
怖くなってきて、その場を離れようとしてしまった。

そのとき

「どうしたぁ?お前」

後ろから聞こえてきた男の声に奈津美は振り返った。



ケガをしている犬に、そう話しかけた男は

30代半ばくらいだろうか、会社員風。
ダークスーツに身を包み、センスの良いレザーのハーフコートを着てて、
眼鏡はかけてなかったが、雰囲気はなんとなく坂崎に似ている。



犬はその場から動かず
上目遣いで彼を見ていた。

「かわいそうに…車にはねられたな…」

それを聞いて、奈津美はさちこのことを思い出していた。

「大丈夫!俺が助けてやっから待ってろ」

犬に話しかけながら
その男性はどこかに電話をかけているようだった。

「行政課につないでください」

しばらく電話で何やら話して

「そうですか…公道での問題は警視庁の管轄なんですね」

一旦電話を切り、今度は最寄の警察署に電話しているようだ。

その電話で現在地と状況を説明していた彼は

「公道の障害とか、違法廃棄物の撤去とか何言ってんだ!」
急に電話に怒鳴り始めた。

「こいつは、いま生きてるんだ!」

そう言って電話を切った。


「ちょっと、あなた!」

奈津美は呼ばれてどきっとした。

「こんな時間だし、どこか診てくれる獣医さん知らないか?」

「ごめんなさい。私、最近こっちに来たばかりで…」

「そうか…それじゃあ、わかんないよな」

スマホで獣医の検索をしながら、
「俺もこっちには今年、引越して来たから、そういうの知らないんだ」

しかし、
そのとき奈津美は犬を飼っている友達のことを思い出した。

彼女とは毎週、同じ講義に出ていて親しくなった。
確か、家はここから、そう遠くはない。以前二人で話しているときに
予防接種だの検診だのと、よく獣医に犬を連れて行っているため

「お金がかかって大変」
とぼやいていたのを覚えている。


さっそく、奈津美がその友達に電話してみると、

「わかった。いつもお世話になってる獣医さんに連絡してみる」
と言ってくれた。

しばらく待っていると、その友人からの折り返しの電話がきて、
遅い時間にもかかわらず、これから診てくれる獣医を紹介してくれた。

そのことを、その男性に告げると

「ありがとう。俺は部屋戻って車を持って来るから、ここでこいつ見てて」

「えー!一人でここで待つんですか?」
奈津美は不安だった。

「うーん?」

そのひとは少し考えてから、胸の内ポケットから名刺を出して、
「じゃあ、一人で、もし何かあったら、これに書いてある携帯に電話して。
とにかく10分くらいで戻ってくるから、ここを頼む!」

そう言って彼は走って行った。

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