キスと嘘と甘い火遊び

【another story】葉山さんの場合② /総合6651位感謝*記念

葉山さんの場合。


*****



数分腕枕をすればすぐに事前に帰ると決めていた時間になってしまう。



「……もう帰るの?」


「うん、ちょっとね」



りぃが少し寂しそうに眸を揺らして俺を見るから嬉しくてついにやけてしまいそうだった。


宥めるように額に唇を落とすとわざとらしく眉を顰めて見せるのは素直じゃない彼女の照れ隠し。

その可愛いさに思わずくすりと笑ってしまった。



「じゃあ帰るよ。さようなら」


「……さようなら」



鞄を手にして寝室を出る。

りぃが玄関まで来て見送るタイプではないことは知っているからいつも通り気にせず靴を履く。


と、来ないはずのりぃがぱたぱたと足音を立てて急いで玄関に姿を現したから。

驚くと同時に嬉しくて、愛おしくて。


このまま抱き締めてキスをしてもう一度ベッドに沈めてしまいたくなる。



「珍しいね。見送ってくれるなんて」


「そうでしたっけ」



冷静を装う俺にりぃはそんなこと考えたこともなかったとでも言うように首を傾げて見せる。


ねえ、りぃ。

嘘をつくとき君はいつも敬語になるからすぐに分かってしまうんだよ。

ただ分からないのは嘘をつく理由。


見送りに来たことが珍しいかどうか覚えていないと嘘をついて興味のない振りをする。

それが俺への気持ちを隠すためだったらどれほど幸せだろうと考えてしまう。


こんな女々しい俺の内心を知ったらりぃはどう思うだろう。

思い切り引くだろうか。

優しいりぃなら困った顔をしながらも受け入れてくれるかもしれない。


そんな煩悩混じりの考えを馬鹿だなと自分で打ち消して部屋を後にする。

夢は終わりだと責めるようにドアがガチャンと重々しい金属音を立てて閉まった。



アパートの廊下を歩きながらスマホを取り出してロックを解除すれば開いたままのメール画面が表示される。



『お仕事お疲れ様です。妊娠の可能性があるようなので明日産婦人科を受診して来ます。』



妻から届いたビジネスメールのようなそれに何度目か分からない溜め息が溢れる。

仕事が終わった数十分後にこれが届いたときは自分でも意外なほど驚きはなく、ただ、この時が来たかとだけ冷静に考えた。


何と返信すれば分からず放置してしまったのは未だに妻との距離を測りかねているから。

ありがとう、と感謝すればいいのか。

どこの産婦人科に行くのかとあくまでビジネスライクに尋ねればいいのか。

未だに分からない。


眉を寄せてしばらく考えてから文章を打ち込む。



『わかった、今から帰ります。明日は午前中なら予定を空けられるから一緒に行く』



送信ボタンをタップしてスマホにロックをかける。

…妊娠、か。

もし本当にできていたら一年後には俺の子供が産まれてくるってことだよな。


ねえ、りぃ。

俺はりぃが好きだから。

その手を離したくないと心の底から願ってる。


それでも妻の妊娠を、彼女のお腹に命が宿ったかもしれないことを嬉しいと思ってしまう俺を。

君はこの世界で一番最低な男だと思うだろうか。

…俺は君をまた泣かせてしまうのだろうか。



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