キスと嘘と甘い火遊び

正妻と嘘と甘い火遊び /読者20,000人様感謝*記念

「高木さん」

「お久しぶりです、奥様。どうかなさいました?」

「突然会社に来てごめんなさい。啓介さんに用があって訪ねたのだけど」

「申し訳ありません。社長は外出中でして」

「有村さん、のところなのね」

「、…何のことですか?」

「惚けなくても知っているわ。私たちがまだ婚約関係だった時から啓介さんに恋人がいたことも。その人を理由に結婚を渋っていたことも」

「……ご存知でしたか」

「ええ。あの頃は2人で歩いている所を遠目に何度か見かけたもの。……とても幸せそうだった」

「…、」

「実は1度だけ有村さんとお話したことがあるの」

「え、」

「1年ほど前よ。どんな方か気になって仕方なくて売り場を覗いてしまって。……勝手な振る舞いをしたと反省しているわ」

「そんな反省だなんて…、」

「とても綺麗な方だったから何度も見てしまった。でもそれだけではなくて優しい方でもあったわ」

「何を話されたんですか?」

「私がお店の前をうろうろしていたら声を掛けてくれたのよ。お品物を売り込むでもなく“お1人ですか?”って。そうだと言ったら“1人でお買い物も良いですよね”ってお花が咲くようにふわっと笑うの」

「…、」

「それだけでお人柄が分かってしまったから。思ったのよ。この人には敵わない、って」

「……奥様」

「私はその“奥様”でいてもいいのかしら」

「どういうことでしょう?」

「家ではお手伝いさんを挟まずに会話をすることは殆どないわ」

「…そのようですね」

「啓介さんは丁寧に大切に扱ってくれる。妻や女性としてではなく“吉岡の娘”として」

「無神経なことは承知で申しますが、それが葉山と吉岡の婚姻の正しい姿なのでは?」

「ええ、そうね。私も幼い頃から父には結婚相手にだけは惚れるなと言い聞かせられました。深入りすることも離れることもしてはならないとも」

「…、」

「でもね、私は……啓介さんと別れてもいいと思っているのよ。もしもあの人が望んだら」

「な、ぜ?」

「だって幸せになって欲しいもの。想い合っている2人の邪魔は出来ないわ」

「、」

「そう思いながらも啓介さんとの間に子供さえ出来れば離れずに済むと考えてしまう私は嫌な女ね」

「奥様。もしかして社長のこと、」

「ええ、好きよ。結婚する前からずっと好き」

「ではあなたにとっては恋愛結婚だったのですね」

「どうかしら。恋とはもっと甘くてもっとキラキラしたものだと思っていたわ」

「え?」

「だって私は劣等感塗れの嫌な女で。それでも啓介さんが一言望めばあっさり手を離す自信があるの。こんなおかしな感情は恋と呼べるの?」

「どう、でしょう。恋愛には疎いもので」


「きっと恋ではないわ。でも本当に好きなの。……誰かがこの感情に名前を付けてくれればいいのに」


「名前、ですか?」

「ええ。そうしたらようやく自分を納得させられる気がするわ」



『正妻と嘘と甘い火遊び』



「社長」

「何だ?」

「たまには平日も家に直帰なさったらどうです」

「おいおい、どういう風の吹きまわしだ?」

「………何でもありません」

「妻のことか?……いいんだよ。俺は口もきいてもらえないから」



奥さんのお話。




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