ナマケモノに夜《完》

3話 ほつれ髪の栞 /1










「この辺なのだがね」




紙に書かれた地図によると、そろそろ目星の建物が見えてくる筈である。



私はかけている眼鏡の位置を頼りない手つきで直しつつ、辺りを見渡した。



最近はよく見かけるようになった自動車が、体に毒になりそうな黒煙を吐き出しながら私の前を通り過ぎたので「うわっ」と頓狂な声をあげた以外は、粗相なく、この【藤屋敷町(ふじやしきちょう)】の通りを歩いているように周囲からは見てもらえるだろう。




この町はとても古風で、奥ゆかしく、そして何より他者の訪問を心よく許すという特徴があると聞いている。



また、東京では洋装姿の紳士淑女をよく見かけたものだが、藤屋敷町の中を歩いてみると洋装の男女はあまり見かけられなかった。



他者の訪問は歓迎する質だが、文明開化には適応していないのかもしれない。



かくいう私も、新しい文化に戸惑いの色を隠せない人間だった。白い立て衿のシャツの上から袷の着物を羽織り、袴を履いて足下は下駄である。




時折革靴を履いている男を見かけるが、あれは歩きにくくないのだろうか?鈍臭い私には到底履きこなせないだろう。



転倒し、道化者にされるのが落ちだ。



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