ナマケモノに夜《完》

3話 ほつれ髪の栞 /4












「作家先生、茶菓子でも持ってきましょうか?」

「居候の身でそこまでご迷惑をおかけできません」

「あら、あら。まぁ、まぁ。いいのですよ。主人も言っておりましたでしょう?私の家の者は本好きなのですよ。だから作家先生のことは皆、応援したくなるのです」




数日経った頃。


相も変わらず明智家の庭の桜は見事なものだった。部屋の窓を開けると、いたずらな風に吹かれた桜の花びらが、ふらり、ひらりと部屋の中に舞い込んできて、私の燻った心を癒してくれるのは殆ど日常茶飯事になっていた。




「……では、折角なので」



私は文机から離れて、奥方から持て成して貰ったモナカを口に入れた。



皮がサクリと音を立てて割れたかと思うと、その中から、程よい甘さの餡がじんわりと滲みでるように姿をあらわした。



一寸ほどあいた洞窟の穴から蛇が蛇行して出てくる風景が頭の中を過る。が、美味い茶菓子を洞窟から出てきた蛇に例えるなど、そんなことはもっての他だろう。




どうにも血生臭い話を書いていると、頭に浮かぶ単語にも翳がのる。




「美味しい菓子ですな。こんなに美味い菓子は初めて食べました」



率直に感想を述べる。と、奥方は着ている薄紅色の着物と殆ど同じ色合いの紅を頬にさしながら、頬笑んだ。




「作家先生がそう言ってくださるならば、明智の菓子もまだまだ長持ちしますわね……あら?」



その途中だった。奥方の顔から笑顔が拭われたのは。





「いかがなさいましたか?」

「いえ……作家先生。この部屋に誰かお招きでもなさいました?」

「誰か?ですか」

「ええ。誰かです」

「誰か、と言われましても」

「誰か、と言っているのですけれども」

「なにか怒っているのでしょうか?」

「怒ってなどいないのですけれど」

 


鸚鵡返しに問われ、私ははてと小首を傾げた。



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