夕焼けノスタルジー【完】




もうええよ、とさよならの言葉を告げられるんだろうかと思ったら、ドアノブを掴む指先が微かに震えた。



このまま扉を閉めてしまいたい。聞かないまま、明日を迎えて何食わぬ顔で「おはようございます」と言ってしまいたい。聞き逃したようにして、無かった事にしてしまいたい。



だけれど身体はその場に縫い付けられたように動けない。



ゆっくりと開かれた唇を見ていると血の気が下がっていくのを感じた。嫌や、聞きたくない。もっと今より頑張りますから、もっと上手に代わりになれるようにしますから。やからまだ切らないで欲しい。



だけれど、暫く待っても優さんからそれ以上の返答が返ってこなかった。



言い淀むようにして固く口を閉じると、「いや」と歯切れ悪い返答の後、脱衣場へと消えてしまう。パタンと閉じられた扉の音は、いつもよりは冷たく無かった。



呆然としたまま立ち尽くす私の耳朶に、シャワーがタイルを打つ音が聞こえてきた。



待っていてもその返答が聞けない事は何となく分かった。



優さんは何を言いかけたんやろう。



それが聞きたいような聞きたくないような、曖昧な気持ちを引きずるようにして扉を閉めた。



鍵をかける時、いつも明日の事を考えると恐ろしくなる。



マンションの廊下を歩きながらも、沈みかけた気持ちを無理矢理仕事の気持ちへと持って行く。いつもと変わらない表情を作りながら、心だけ壊れていく音に気が付かない振りをした。



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