昔から自分を下に下に見せることで人を安心させる癖があったように思う。
テストでも良い点取りたいという欲より自分の点数が人より低い事でより多くの人を安心させ円滑にコミュニケーションがとれる方が良いと思ってた。普通に考えて良い点取った方がうまくいくだろって話なんだけど。
謎。今は何でそうなったか考える気力がない。
どうしてこんな事を書こうと思ったかというと、この約10年の介護生活で寝たきりだったり帯状疱疹後の疼痛で運動が中々できず弱っていく母に対しずっと同じ苦しみを味わうのが優しさだと思っていた。
自由な時間は沢山あるのにずっと母の様子をみて動けずにいた。あとは100%自分の自由に動けないなら例えば50%自由っていうのが中途半端で苦しくて、自虐的に完全な不自由を選んでしまうのかも。もうどんどん思考が湧いてくるからなぐり書き的に書くけど、それもこれも父親がああいう人だから我慢が癖になってしまっていた。その環境から開放されれば自由を満喫できるという訳ではなく、もう一生誰と居てもなんなら飼っている猫と居ても自分ひとりだけの時間でさえもその感覚が自分をさらけ出す、心を休ませる邪魔をする。
結局いつも言いたいことの根源にあるのは「すべての人間の性格、行動はパターンでしかない」ということ。
どれだけ大きな事件を起こした人間でもその中身は色々な要素の組み合わせでしかない。だってどれだけ理解できなくても実際にそういう人間が居る。自分もこの親、この環境の組み合わせでそうなった。言い訳として言いたいんじゃなく、でもわかってほしい。わかってくれる人が少なすぎて苦しい。
自分の言動の理由がわからなくて、でもある時ふと点と点が繋がるみたいなときがあってでも言語化が追いつかなくてもやもやして消えていく。
とにかくこんな事を10年も続けていて大切な人を傷つけてしまったので、もう母の介護は辞めようと思う。もう十分頑張った。あの父親に任せてこのまま口数が減って身体が弱っていって物覚えも悪くなっていく母を見るのはかなりきついけど…この10年は母にとってもボーナスタイムだった。行きたいところも何箇所かは行けた。服装も放っといたらおばあちゃんになるんだろう。ご飯の栄養バランスや量も厳しく言う人がいなくなるからちゃんと食べずに便秘も増えて血管に負担かけるんだろう。爪もすぐ割れてその度に深爪して巻き爪で化膿して痛いとか言うんだろう。でももういい。そういう人なんだ。どれだけ言っても直らないし自己責任だ。
頑張って嫌いになろう。
そしてこれからは自分を大切にして、自分を大切にしてくれた人を大切にする。
自分を傷つけるのが癖になっているから、それを直す。